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family affair…「THIS IS US 36歳、これから」シーズン1を見て


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2016年に全米で放映を開始し、良質のドラマとして話題となった『THIS IS US』。日本でも1年ほど遅れた201710月からNHKで『THIS IS US 36歳、これから』のタイトルで放映され、2018年の2月初めに第1シーズンが終了した。


私はたまたま第1話をリアルタイムで見て驚いた。「え、こういう話だったんだ」と。番宣を見た時点では正直それほど魅力的なドラマとは思えず、「ああ、40歳という人生の後半が現実味を帯びてきた36歳の青年たちの苦悩や葛藤を描いたドラマなのか」くらいに思っていた。ネタバレについて糾弾されることの多い昨今、できるだけネタバレせずに番宣しようとすれば、確かにああなる、ということは見終わった今なら分かる。が、番宣というのはこれから見る人にいかに見る気を起させるのかがカギであり、そういう意味では本ドラマにおけるNHKの番宣は成功していたとは言い難い。


事実、私の周りでも見ていた人は皆無だったし、「イケメンが主役の恋愛ドラマなんじゃないの?」と誤解している人も少なくなかった。ネット検索をしても、ストーリー展開に触れた個人の感想などは目にするものの、かっちりとした批評のようなものはほぼ見かけなかった(国内では)。というわけで、全米では第2シーズンがもうじき放映終了、第3シーズンの制作も発表されているので、日本でも引き続き放映されることを願いつつ、『THIS IS US』とはどんなドラマなのかについて少し書いてみたい。見事な脚本は、『塔の上のラプンツェル』も手掛けたダン・フォーゲルマン。親と子、兄弟間の葛藤、養子、人種や容姿における差別、仕事での壁、過ちによる関係性の断絶と再生、生と死などなど、つまりは人生にまつわるほぼすべてのモチーフが複雑に絡み合いながら、それでもユーモアを忘れずに芳醇な物語を形づくる。登場人物のいずれかに、あるいは何人かに対して「THIS IS ME!」と叫びたくなるほど、彼ら彼女らの苦悩は私たちのそれと符合する。


「世界中に自分と同じ誕生日の人は1800万人以上いるといわれているが、誕生日が同じだからといって行動に共通点があるとは限らない。でも、それは見つかっていないだけ。」


『THIS IS US』は、こんな言葉からはじまる。ある家では、三つ子をお腹に抱えた臨月の妻が夫の36回目の誕生日を祝うため、一本だけロウソクを立てたカップケーキを手に寝室に入ってくる。「誕生日の伝統行事だから」と妻に性交を求める夫だが、急に妻が産気づき、それどころではなくなる。あるホテルでは、『シッターマン』なる馬鹿げたシチュエーションコメディでプチブレイクしたイケメン俳優が36歳の誕生日を迎え、自分は俳優としてこのままでいいのかと虚無的な表情を浮かべている。ある家では、超がつくほどの肥満体形の女性が冷蔵庫に詰め込まれた36歳を祝うバースデイケーキや高カロリーの食べ物にげんなりし、恐る恐る体重計に乗ろうとしてバランスを崩しひっくり返る。あるオフィスでは、株価変動グラフを睨むトム・フォードの眼鏡をかけたエリート然とした黒人男性が、職場の仲間にサプライズで36歳の誕生日を祝福されている。溌剌とした妻と聡明そうな小さな娘二人を持ち、見るからに成功者に見える黒人のランダルは、実の父親を知らずに育ったが、人を雇ってついに父親の居場所を突き止めた。36歳の誕生日に、その知らせがメールで届く。「GOOD NEWS」という件名で。


一見無関係の4人が別々の場所で同じ日に36歳の誕生日を迎えたのか。そう思いながら見ていると、彼らは無関係どころか深い関係にあることが分かってくる。このドラマについて書くことの難しさは、どこまで物語の構造を明かすべきか、という点にある。つまり、ネタバレをせずに語ることがほぼ不可能な話のつくり方になっているのである。公式のイントロデュースでも、「全米が泣いた。誕生日が同じ36歳の男女3人の物語」みたいなことしか書かれておらず、これじゃあこのドラマの凄さは何も伝わらないよ、と思いつつも、確かに何も知らずにまっさらな状態で見たほうが(私のように)感嘆の度合いは深まるともいえるわけで、苦渋の決断だったのかもしれないな、とも思う。


というわけで、何も予備知識を入れずに見たいという人は、ここから先には読まないほうがいいかもしれないが、昨年から今年にかけてNHKでの放映をリアルタイムで見て、録画した全18話を2周ほど見たうえで思うのは、仮に話の構造や展開を知っていたとしても、本ドラマの凄さは少しも損なわれないということだ。最低でも二度は見ないと、細かいディティールを見過ごしていたりもするし、たとえ筋は分かっていても、毎回唸らされ、新たな気づきや感銘がある。


当初、イケメン俳優ケヴィンの声を「海外ドラマ声優初挑戦の高橋一生」が担当するというのがNHKのウリだったようだが、これも功罪があったように思う。個人的に高橋一生は好きな俳優だし、美声だとも思うが、残念ながらケヴィンの声には悲しいほど合っていなかった。大スターが出ているわけでもなく、派手な仕掛けや大きなトピックもない海外ドラマなので、このくらいの「引き」がないと日本の視聴者に対するアピールポイントがないとNHK側が考えて、登場人物らと同じ歳(当時)の今をときめく高橋を起用したのだろうが、これによって女性視聴者は増えたとしても、一方で「俺たちには関係ない恋愛ドラマか」などとスルーした男性視聴者もいたのではないかと想像される。たしかに物語上ケヴィンの恋愛要素もあるにはあるが、そこは本筋ではない。単なるイケメンの恋愛ドラマでは、断じてない。


1話の時点で明らかになることであり、ウィキペディアやネットの記事などでも明示されているので記してしまうが、第1話は3人の男女(双子の兄と妹、養子として育てられた黒人の弟)36歳になった2016年の話と、彼らの両親が36歳だった1980年の話が同時並行で描かれる構造になっているのだ。1話の終盤でそのことに気づいた時は鳥肌が立った。


しかも、テロップで「1980年」などと示されるわけではなく、分かりやすい回想シーンとして描くこともなく、つねに両者は「現在」として描かれる。2016年にLeeのストームライダーを羽織ってジーンズを履いた長髪に髭の男なんて随分アナクロな、と思ったら、そうかそうだったのか、という驚き。


言ってみれば、『北の国から』の純と蛍が36歳になった現在と、五郎が36歳だった過去を(特に説明もなく)マッシュアップして描く、というような構造なのである。いや、それはたとえが違うか。いずれにしても、『THIS IS US』では、1話以降すべて198090年代の過去と2016年の現在が当たり前のように同時並行で描かれる。過去からはじまり現在へ、そして再び過去へ、時制はめまぐしくスイッチする。しかし、『北の国から』と最も異なるのは(『北の国から』と比較する必要は全くないのだが)ナレーションが一切ないということだ。登場人物の多い群像劇で過去と現代を頻繁に行き来する構造であれば、説明的なナレーションやセリフで補足すれば混乱は生まれないはずだが、このドラマではそんな野暮なことはしない。過去と現在を行き来しても、さしたる混乱を来さないのは、服や髪形、メイクなどで瞬時にいつの時代かが視覚的に判別できるからだろう。最初の23話こそ多少の混乱もあるものの、登場人物たちの名前と顔が一致する頃には全く問題がなくなっている。


これは視聴者のドラマリテラシーをつくり手が信頼している証左といえるが、これが日本のテレビドラマであれば、上層部が「これ、数字が伸びないのは話が分かりにくいからだろ。もっとテロップ入れるなりして親切に作ってよ」とか「スポンサーから分かりにくいってクレーム来ちゃったんすよね。え、作家性? 作家性ってなんすか。そんなのいいんで、もっとナレーションとかバンバン入れて分かりやすく進行してもらっていいすか。伝わんなきゃ意味ないじゃないですか」などと代理店の人間が口を出すところだ(想像)


いずれにしても、現在は瞬時に過去になり、過去はスキップするように現代になる。しかし、両者には当然のこととして因果関係があり、「過去にこんな出来事があって、それゆえに現在こうなっている」ということが、セリフやナレーションではなく、細かいエピソードを紡ぐことによって浮き彫りなる。たとえば4話の「プール」では、夏のある日、親子がプールに遊びに行くというごく日常的なエピソードの中に無自覚な(であるからこそ恐ろしい)差別が描かれ、それは2016年の現在でも決してなくなくっていないことが示される。


あるいは、7話の「世界一の洗濯機」では、幼少期~少年期から続く兄弟の確執が、ハイスクール時代のアメフトの試合でのケンカから36歳でのニューヨークの路上でのつかみ合いへとスライドする。白人でイケメンの兄ケヴィンと黒人で養子の弟ランダル。兄は母親が養子の弟ばかりひいきするとイラ立ち、親の愛情を独占したい気持ちから血のつながらない黒人の弟を目の敵にする。物語の冒頭と最後に映る洗濯機は、そんな兄弟の確執やケンカでついたユニフォームの汚れをも洗い流す、いわば子供の成長と家族の(人種を超えた)結びつきの象徴として描写される。在りし日、コインランドリーで洗濯物を洗う若いカップル。「いつか君に世界一の洗濯機を買うよ」と彼が宣言する。二人は結婚し、やがて子供が生まれ、洗濯機は日々フル回転しながら無言で(時に不気味な唸り声をあげながら)家族の歴史を見つめ続ける。どんなにトラブルやいさかいがあっても、その都度ひとつの洗濯機が家族の服を一緒に洗って汚れを落とし続けてきたのだ。


8話の「感謝祭」では、一家が感謝祭に向かう道中のアクシデントを逆手にとった父親の機知とユーモアによって、「自分たちだけの感謝祭のふざけた伝統」をつくり出し、それは父親亡き後も家族の間で馬鹿馬鹿しくも厳かに受け継がれていく様をおかしみとぬくもりの中に描き上げる。12話の「小さな奇跡」は、あの感動的な第1話の前日譚であり(ドクター・カタウスキー役のジェラルド・マクレイニーはこの回の演技でエミー賞を受賞している)、いくつかの偶然が重なり合って小さな奇跡と呼ぶべき事が起きるが、すべての出来事は、それと気づかないだけで実はつながり、共振しているという世界の真実をやさしく示す。第1話を書く段階でこの12話の展開を考えていたのか、後付けで書いたのかは知らないが、もし後者だとすれば実にテクニカルかつマジカルな脚本術である。唸るしかない。


9話の「家族旅行」では、かつて家族が利用した山小屋に子供たちが出向き、在りし日の家族の面影を探る。山小屋の壁に貼られたマジカルアイ(視力回復を標榜した3D画像)のように、凝視せず、焦点をぼかしてぼんやり見れば、家族の歴史もその輪郭が浮き彫りになっていくのかもしれない。山小屋で家族の古いアルバムをめくるかつての子供たちは、忘れていた何かを思い出す。『岸辺のアルバム』ならぬ『山辺のアルバム』。


おっと、この調子でいくと18話まですべて解説してしまいそうな勢いなので、あとはもう、とにかく騙されたと思って見てもらうのが手っ取り早い(公式サイトで1話のみ視聴可能)。養子の黒人・ランダルを演じたスターリング・K・ブラウンが本作でゴールデングローブ賞の主演男優賞に輝いたことからも分かるように、高橋一生が声をアテたケヴィンではなく、むしろランダルが主役というか物語の主軸にあるといってもよい。第1シーズン最終話である18話は次のシーズンへの引きのように宙づりのまま終わってしまったが、その一話前の17話まではあきらかにランダルが主軸として物語が回っている。そして、ランダルの実の父であるウィリアムの言動が、物語を魅惑的に牽引していったことを忘れてはならない。第1シーズンはウィリアムの出現によって始まったことを考えても、ランダルとウィリアムを軸とした物語だった、と言ってよいだろう。


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1617話も本当に感動的なのだが、決してお涙頂戴のセリフや演出、芝居の応酬ではなく、むしろ抑えたやりとりや節度ある描写、アイロニカルな笑いの中に人生の本質のようなものが浮き彫りになる。ある家族をめぐる愛憎の物語という意味において、本作の脚本をして「アメリカの向田邦子」などと呼びたくもなるが、そんなたとえも凡庸に思えるほど、ホームドラマのネクストレベルを提示しているともいえる。脚本術として、日本のテレビドラマが参考にできる点は多々あるように思えるが、まずはこうしたドラマをつくる環境が整っているのかどうかが問題なのだろう。


そして、音楽もすばらしい。1980年代が舞台のひとつとはいえ、音楽は決してその時代性にとらわれることなく、物語や登場人物の世界観に寄り添う選曲がなされている。三つ子がお腹の中にいる時、母親のレベッカがスティービー・ワンダーの『アップタイト』を流すとお腹の中で動き出すことから「音楽の趣味がいい」と早くも親ばかぶりを発揮する様も微笑ましいし、感謝祭に向かう車中、父親のジャックがカセットで繰り返し流すポール・サイモンのアルバム『グレイスランド』が、時を経て息子ランダルのiPhoneで再生される様もグッとくる。


たとえばLabi Siffreの「Watch Me」。




あるいはSufjan Stevens の「Death with Dignity」。




シーズン2が待ち遠しい。




by sakurais3 | 2018-03-11 23:18

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