それぞれで、家族。---星野源『Family Song 』を聴きながら

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星野源の新曲『Family Song 』のMVが公開になった。CDのリリースは816日。MVでは、星野がサザエさんのようなお母さんに扮し、高畑充希が夫、藤井隆が娘、長岡亮介をはじめとするバンドメンバーがOLやおばあさん、学生の格好をして登場するという、過日NHKで放送された音楽バラエティ(と呼んでいいのだろうか)『おげんさんといっしょ』の世界観がそっくりそのまま再現されたものになっている。


たまたま火曜深夜の「星野源のANN」のサワリだけ聴いていたのだが、そこで星野は60年代末から70年代初めのソウルミュージックを今の日本で成り立たせる、というこの楽曲のコンセプトを披露しつつ、MVの世界観のベースには『サザエさん』があると述べ、「サザエさんのテレビアニメの放送が始まったのが1969年」であることや、「筒美京平作曲の『サザエさんのテーマ』には (当時隆盛を極めた)ソウルミュージックの影響がある」ことなどにも言及し、なぜサザエさんなのか?、という問いへの解が示された。





星野がこの曲やMVで提示しようとしたのは、「あたらしいかたちの家族像」であろう。前作『恋』において、「夫婦を越えてゆけ ふたりを越えてゆけ 1人を越えてゆけ」というキラーフレーズによって固定観念や社会的制約に縛られないあたらしい夫婦/カップルのかたちを示したことは記憶に新しい。もちろんこれはドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の主題歌としてつくられた曲であるし、楽曲の制作はドラマの脚本が仕上がる前だったとはいうものの、原作漫画の世界観を踏襲したものであることには違いない。


今作『Family Song』においては、家族/ファミリーというものの再編が試みられている。星野がお母さんだったり高畑充希がお父さんだったり藤井隆が娘だったりするという、性別や年齢や血のつながりすら超越したかのようなバラバラの集団がファミリーとして描かれているのはそのためだ。もちろん、ソウルミュージックのマナーに従えば、仲間のことをファミリーと呼ぶのは少しも不自然ではない、という意味合いもあるだろう。


星野は前述のラジオ番組内で、「これからは両親が同性だったり、いろんな家族が増えてくると思う」とも言っている。それこそサザエさん的なるファミリードラマが戦後の日本に提示した「家族とはこうあるべき」という理想像は、同時に無言の圧力となって、一方では多くの人々を苦しませてきたともいえる。そうした文脈でいうと、このMVは「ネオ・サザエさん」「脱構築された一家団欒」「あたらしい景色としての縁側」であるともいえるだろう。


たとえぱ、女性として生まれたものの、自分の本質は男性であると気づき、性転換手術をして男性となり、結婚した相手の女性が人工授精で子ども授かったカップルの事例などが既に日本でもある。あるいは、男と男の同性の両親と養子の子供が家族として楽しく一家団欒をする。そうした光景が、これからの日本ではふつうに見られるようになるかもしれない。排他的な日本の風土において、既存の家族像を壊すことは容易ではないのかもしれないが、このMVは、実はそんな自由でラジカルな価値観を我々に問いかけようとしているのだ。ただ単にミュージシャンや俳優が女装や男装をしてふざけているだけではないのである。


登場人物以外、家の中がすべてピンクに彩られているのは、ペールトーンが流行っているという理由だけでなく、赤=女の子の色、青=男の子の色といった性別に張り付いた色のイメージの境界を曖昧にする作用があるようにも思える。ビジュアルのディレクションは、このところ星野のアートワーク全般を手掛ける吉田ユニ。CGではなく、家のセットをすべて建て込み、ピンクに着彩しているというから、その徹底ぶりに驚く。


そして、この『Family Song』という曲が感動的なのは、ソウルミュージックの定番である美麗なストリングスの調べとともに、夕暮れに響く救急車のサイレンの音に胸が締め付けられながら、誰かの無事を祈るという、いまここにいないひとのことを心配し、そのひとに一日でも多く幸せがあるように、という願いや祈りが込められていることだ。「いまここにいないひとのことを心配し、そのひとにとって一日でも多く幸せがそばにあることを願う」という感情のつながりが、家族というものを成立させていると歌う。願いや祈りはゴスペルに端を発するソウルミュージックのコアでもある。誰かが誰かを思う、その時間の長さや感情の深さこそ、愛と呼ぶべきものかもしれない。


「誰かが誰かを思う、その時間の長さや感情の深さ」について考えるとき、ついつい現在放送中の朝ドラ『ひよっこ』と重ね合わせてしまうことをお許し願いたい。おりしも、長い間消息不明だった父・実(沢村一樹)が見つかったはいいが、過去の記憶をなくした「名前のない男」になっていた、という物語もいよいよ佳境に、という段階に入っている。父が消息不明になってからというもの、娘のみね子による「お父さん…」という「いまここにいない、不在の父に向けた語りかけのナレーション」がお約束になっていたわけだが、父親が見つかって以降、当然そのナレーションはなくなっている。なくなってみると、今までいかに長い間みね子が「お父さん」と呼び掛けてきたのかが逆に際立つ。その思いの積み重ねがあればこそ、父が家族のことを一切記憶していないという現実があまりに切なく感じられるのだ。


「家族とは記憶である」こと示したのは、今年初めに放映された渡辺謙主演の新春スペシャルドラマ『しあわせの記憶』(大石静脚本)だった。




事業に失敗して自暴自棄になり、家族を棄てて失踪した父親(渡辺謙)が数年ぶりに戻ってくるという、今にして思えば2017年のケン・ワタナベ自身の私生活を示唆するような話ではあったが、たとえ今うまくいっていない家族だとしても、子供がはじめて歩いたとき、はじめて喋ったとき等々、幸せだった時の記憶こそが家族を家族たらしめている、その記憶があればたとえバラバラになっても家族は家族であり続けられるのだと、このドラマは語る。という意味合いでいえば、『ひよっこ』が描くような、家族の誰かががその幸せな記憶を丸ごと失う事態は、家族を家族として成り立たせる柱が倒壊してしまったようなものかもしれない。言ってみれば精神的な死、だ。そこから、はたしてどう家族が再生していくのか、という話にこれから『ひよっこ』の主軸になっていくのだろうと考えられる。


話が『ひよっこ』に逸れてしまったが、いずれにしても『Family Song』はしみじみと美しい歌だ。しかし、この曲が主題歌であるドラマ『過保護のカホコ』は1話を見て離脱してしまったことをここに告白する。私には難解な話だった。


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Family Song』作詞・作曲 星野源

目が覚めて涎を拭いたら 窓辺に光が微笑んでた

空の青 踊る緑の葉 畳んだタオルの跡

救急車のサイレンが胸の糸を締めるから

夕方のメロディに思い乗せて 届けてくれないか

ただ幸せが一日でも多く そばにありますように

悲しみは次のあなたへの橋になりますように

遠い場所も 繋がっているよ


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by sakurais3 | 2017-08-03 23:59

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