2017春ドラマより 『パンセ』『やすらぎの郷』

3月31日・4月1日の2夜にわたって放送されたスペシャルドラマ『パンセ』は、脚本・木皿泉、主演perfumeという異色の組み合わせゆえに放送前から話題となっていた。

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木皿泉といえば日テレかNHKでの放映の印象が強いところ、なんとテレ東の深夜。前の週まで『山田孝之のカンヌ映画祭』を放送していた時間帯である。どちらかといえばマニアックな設定のドラマが多いテレ東深夜枠にあって、異質なドラマが唐突にはじまって唐突に終わってしまったという印象をもつひとも多かったのではないか。

おそらくperfumeファンは、演技をする3人の姿を見られただけで満足かもしれない。かしゆかが同じ事務所の吉高由里子出演『横道世之介』の「カーテンぐるぐる巻き」をコピーしていたのも可愛かった。あるいはダンスを盛り込んだミュージカル的なドラマを期待していたひとは拍子抜けしたかもしれない。perfumeファンの中には木皿泉って誰?というひともいただろう。

木皿泉は、『すいか』『野ブタ。をプロデュース』『セクシーボイスアンドロボ』『Q10』という一連の日テレドラマから、最近はNHKの『昨夜のカレー、明日のパン』や新春ドラマ『富士ファミリー』など、社会に居心地の悪さを感じていたりマジョリティから疎外されたようなひとたちにそっと寄り添う作風に定評があり、常に新作が熱望される夫婦(めおと)脚本家である。

タイトルのパンセとはパンジー(3色すみれ)を意味するフランス語。perfumeの三者三様具合を3色すみれに投影しつつ、木皿泉のコメントによれば、「たまたま本棚にパスカルの『パンセ』があった」ことも影響しているらしい(『人間は考える葦である』でおなじみの)。ちなみに、哲学者レヴィ・ストロースの『野生の思考』の原題は「野生の3色すみれ」。このドラマが、思想家と哲学者にちなんだタイトルになったのはたまたまなのかというと、どうもそうでもなさそうだ。

perfume演じる3人のOL(のようなもの)は破格の金額で憧れの洋館を手に入れたものの、実はその家に住む40代の引きこもり男の面倒を見ることになるというオマケ付き。その男・力丸(勝村政信)は長年、外界・社会と断絶して暮らしているが、そこにはおそらく彼なりの思想や哲学があるはずだ。哲学(philosophy)という言葉は、ギリシャ語の愛(philo)と知恵(sophy)から成り立っている。愛と知恵は、まさしく本ドラマのテーマと言ってよい。

おそらく自分なりの思想や哲学に従って生きてきた力丸にとって、突然家にやってきた3人の女性は闖入者には違いないが、同時に世界・社会とのドアの役割も果たしてくれる。

今年1月に放送された新春ドラマ『富士ファミリー2017』で、こんな印象的なセリフがあった。

「家って呼吸してるみたいだよね。扉が開いて『行ってきます』、また扉が開いて『ただいま』って。息してるみたいにさ」「ほんとだ。それが当たり前みたいに思ってるもんな、俺たち」

ドラマ『パンセ』において、この「行ってきます」と「ただいま」は、より感動的な響きを伴って交わされる。そして、自らドアを開けて社会に一歩踏み出した力丸は、おそらく生まれて初めて「何かをしてその対価を得る」という社会的な行為をする。

力丸の帰りを家で待つ3人は、その小さな一歩を祝福するように「おかえり」の垂れ幕を掲げる。長い間、家を出たことのない者は、自ら「行ってきます」と言うこともないし、誰かに「おかえり」と言われることもない。家に掲げられた「おかえり」の言葉は、世の中と断絶していた中年男が、もう一度世界に受容される魔法の言葉となって降り注ぐのだ。

言ってみれば、perfumeの3人は、3色すみれの精であり、お払い箱になった家政婦(片桐はいり)の代わりに風に乗って豪邸に舞い降りたメリーポピンズである。その3人がシャボン玉を風に乗せて空に飛ばす。それは、ドアを開けて外の世界へ出る決心をした力丸の自由(と一抹の寂しさ、孤独への惜別)の象徴として、頼りなげに、それでもゆらゆらと高く空へと浮かぶ。

公式サイトによれば、ラストに流れる吉田拓郎の『どうしてこんなに悲しいんだろう』は木皿泉の脚本で既に指定されていたという。拓郎とperfumeといえば広島つながりではあるが、何よりもperfumeの曲を一切使わず、拓郎の1971年の比較的マイナーな歌を持ってくるあたり、今のドラマとしてはかなり異色なことだろう。

録画やネットで見るひとが多いとはいえ、マニアックなテーマや不条理な笑いを扱うことも多く、それなりにトーンが定着しているテレ東深夜という枠組みに、果たしてこのドラマがフィットしていたのかというと、それはよくわからない。30分の2夜連続ではなく1時間にして1夜放送のほうが良かったのではないかという気がしないでもないし、Eテレ『テクネ』を思わせる可愛いオープニング映像の印象からか、もしこのドラマをEテレでやっていたらどうなっていただろうか、などと余計なことまで考えてしまった。

いずれにしても、1月に『富士ファミリー2017』があり、3月末に『パンセ』と、これほど短いインターバルで木皿泉ドラマが立て続けに放送されることもなかなかない。そろそろ連ドラが見たい。


連ドラといえば、4月スタートのドラマで注目なのは、なんといっても倉本聰の昼の帯ドラマ『やすらぎの郷』である。「ゴールデンタイムに年寄り向けのドラマがつくれないんだったら昼の帯でシルバータイムドラマをつくってやろうじゃないの」という意気込みとともにスタートした野心的な新規枠だ。主演は、まさにゴールデンの高齢者向け長寿ドラマだった『水戸黄門』で黄門様を演じたこともある石坂浩二。

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今年の1月にこんなtweetをのんきにしていたのだが、この時点で4月から倉本聰の帯ドラマがスタートするなんて、「そんなことは全く知らなかった訳で…」(by『北の国から』純)。

既に倉本聰は80歳を越えているため、体力的には時々スペシャルドラマを書くくらいが精一杯か、と思っていたのだが、予想は心地よく裏切られた。半年間、130話分の脚本は既に執筆済みというから驚く。

思えば、倉本聰のドラマを意識して見たのは小学校高学年だったか。鍵っ子だったので、学校が終わって帰宅するとテーブルに置かれたおやつを食べながら夕方4時~5時台のドラマの再放送を見るのが日課だった。そこでたまたま日テレで『前略おふくろ様』の、おそらく何度目かの再放送を見てハマってしまった。月~金、毎日同じ時間に帯で放送という再放送のスタイルと、決して大事件が起こる訳ではないにも関わらず各登場人物が織りなす日常のドラマのリズムとが相まって、反復されることで生じるおかしみと切なさに、子どもながら虜になってしまったのだ。ショーケン演じるサブちゃん始め、登場人物全員が深川のまちに確かに生きて存在している、と思った。

という原体験があるため、『北の国から』も単発のスペシャルよりも連ドラ版が好きだ。倉本聰の脚本の妙は、連ドラの反復性によって生きると思っている。しかも、それが週イチではなく月~金の帯なら最高ではないか。

『やすらぎの郷』は既に45話まで収録したシナリオ本も出ている。現在放送中の部分のみ読んでみたところ、セリフはほぼ完全にシナリオ通りのようだ。第1週が終わり、本日から第2週がスタートした段階だが、既にテレビや芸能界に対する痛切な批評がセリフに込められていて、その過激さと切れ味に驚く。『北の国から』スペシャルの終盤や『おやじの背中』などを見るにつけ、さすがに先生もお歳か、などと思ってしまった自分を戒めたい。

タバコを吸いまくる愛煙家の菊村栄(石坂浩二)はどこか市川崑監督を思わせる風貌でもって、倉本聰の分身たる脚本家を熱演。いまさらながら、これほど魅力的な俳優がお宝番組なんかやってる場合じゃないな、と思う。豪華女優・男優陣の存在感ももちろん見ものだ。ベテランだらけの園にひとり放り込まれた唯一の若手・松岡茉優の立場を思うと胃が痛くなるが。

1974年のドラマ『6羽のかもめ』の最終回で、倉本は既に「さらば視聴率!さらばでテレビジョン!」と書いている。テレビのために懸命に働いた人たち、そして放送を楽しみに見ていた視聴者はテレビを懐かしむ資格があるが、本気でテレビを愛さなかった局の人間やテレビを金儲けとしてしか考えてこなかった者に対しては「あんたたちにテレビを懐かしむ資格はない」と断罪する。

「テレビは終わった」ともっともらしく煽る言説が聞かれるようになって幾年月。終わる終わると言われ続けながら、こうしてシルバータイムドラマが始まることで、何かしらの楔を打つことになるのかならないのか。何かがゆるやかに死に向かっていくことには抗えないとしても、どう終わっていくのがいいのかを、このドラマは半年かけて我々に見せてくれるような気がする。






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by sakurais3 | 2017-04-10 13:33

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