家族とは、記憶である。---新春ドラマ『しあわせの記憶』


「MBS(毎日放送)開局65周年記念」の冠がついたTBSの新春スペシャルドラマ『しあわせの記憶』を録画で見る。

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渡辺謙主演の単発ドラマといえば、先日放送された山田太一脚本の『五年目のひとり』を思い出すし、タイトルが『しあわせの記憶』で家族の記憶をめぐる話となればなおさら、という感じなのだが、本作の脚本はなんと大石静である。大石といえば、『ふたりっ子』『オードリー』と朝ドラを二度に渡って手掛けてドラマ脚本家としての地位を築き、『セカンドバージン』など、NHKに重用される脚本家のイメージも強かったが(最近では『コントレール 罪と恋』も)、2016年には日テレで『家売るオンナ』をヒットさせたことも記憶に新しく、いまだ第一線の脚本家であることを世に見せつけた。

『家売るオンナ』は、誇張した演出についていけず数話でリタイアしてしまったことを告白するが、大石にとって新境地ともいえるライトでポップな作風に、何か一皮剥けた、吹っ切れた勢いを感じたりもした。それは、ドラマをつくりたくて日テレに入社したものの長くバラエティに携わってきたプロデューサーの小田玲奈が、異動によりようやく念願のドラマづくりができるようになった、その第一作である、という力学も働いたのではないかと想像する。

『家売るオンナ』で大石静が手にした「あたらしい感触」が、本作『しあわせの記憶』にもいい具合に作用していたのではないか(しかも『家売るオンナ』の主演・北川景子が渡辺謙の娘役だ)。設定などから「山田太一的」と早とちりされがちな本作は、蓋を開けてみれば山田太一作品よりもずっとライトで、決してうまくいっている家族の話ではないにも関わらず、シリアスになり過ぎない明るさがあった。それは、山田太一よりもどちらかといえば向田邦子的と言ったほうがしっくりくるような気もするし、そういえばTBSの新春ドラマは長いこと久世光彦が演出する向田邦子ドラマだった、ということも思い出さずにいられまい。

かつて夫婦で弁当屋を起ち上げ成功させた太郎(渡辺謙)と妻の純子(麻生祐未)だったが、手を広げ過ぎて倒産。太郎は自暴自棄になり、家族を棄てて家を飛び出してしまう。太郎と純子が出会ったのが、阪神タイガースが優勝した1985年の神宮球場、弁当屋を始めたのが88年(チラッと画面に映る商店街ののぼりから分かる)、まさに日本がバブルへ向かう最中、銀行も多額の融資をしまくり、おそらく太郎もその波に乗って店舗を増やし、バブルが弾けた途端ににっちもさっちもいかなくなった、というこの夫婦の歩みが、説明描写に頼らずスッと理解できる、という辺りからして脚本と演出の巧さが分かるというもの。弁当屋が繁盛し、神奈川県高津区(山田太一の住む街!これもチラッと映る離婚届の住所から分かる)に一戸建てを買った夫婦の間に生まれたふたりの娘が、夏波(北川景子)と冬花(二階堂ふみ)。家族を棄てた父親に代わり、友人とともに起ち上げたネット通販会社を成功させて家計を支える夏波は父親を許せずにいるが、しかし自ら事業をはじめる時点で、疑いようもなく父親の血を引いている。

しっかりものの長女とおっとりした次女の対比もある意味で向田邦子的だ。ネット通販の会社を起ち上げてブイブイいわせている夏波に対して、冬花は就職できずにコンビニのバイトをしながらバイトリーダーにダメ出しされる日々。「美人で有能な姉をもつがゆえに、やりたいことがなかなか見つけられない」女子を、感情を前面に出さず、奇をてらった芝居もせずに二階堂ふみが好演していた。何故かいつもリュックを後ろ前に抱え込むようにして歩くのだが、電車に乗る時に他の乗客の邪魔にならないように常にそうしているのか、一歩踏み出す勇気のない守りに入っている精神を表しているのか。

清掃会社をリストラされた太郎は、自分の家賃さえ払えないのに通い猫の「沙織」には嬉々としてエサをあげるお人よしだが、とうとうアパートも追い出され、5年ぶりに家族の元に帰ってくる。というのが物語の導入だ。清掃会社の作業着姿で帰ってきた太郎に対して、「汚い格好で家の中うろうろされるの困るから」と言ってユニクロで買い揃えた服を投げやりに渡す夏波。それを見た冬花は「お姉ちゃん、きれいなパパでいてほしいんだよ。ほんとは私よりファザコンなんだから」と太郎に言う。この辺りのやりとりも向田邦子的といえる。向田邦子の存命中にファザコンという言葉が流通していたかどうか定かではないが、彼女は今でいうところの真正のファザコンであろう。

このダメなおやじのことを、家族全員が実は嫌いになれない。それは、「楽しかった頃の思い出、記憶」がそれぞれの胸のなかにランプの灯のようにともっているからだ。その「しあわせな記憶」こそが家族の実態であり、いつかはなればなれになり、それぞれの道を歩くことになろうとも、その記憶の灯をどこかにともしていれば、家族であり続けることができる、と本作は静かに訴える。それは、どれだけすったもんだしても、帰ってくる場所・家(ホーム)があることが家族の証だ、という従来のホームドラマの態度とは一線を画す。たとえ、家という物理的な空間がなくなったとしても、それぞれの記憶があれば、そこがホームなのだ、と。

その証拠に、最後に太郎は家族のいなくなった家に鍵をかけ、「じゃあ」と家に別れを告げ、ひとりフェリー乗り場に向かうのであった。家が家族なんじゃない。記憶こそが家族なんだ、と言わんばかりに。

※この辺りは、「私に売れない家はありません」と豪語する『家売るオンナ』の三軒家万智(北川景子)を描いたことでたどり着いた大石静の結論なのだろうか。

本作でもっとも多幸感のあるシーンが、夜更けのボーリング場で太郎と夏波がボーリングの勝負をするくだりだろう。「不思議だよな。いろんなことを忘れちまうのに、おまえたちとボーリングしたのはよく憶えてる」と太郎がつぶやく。しあわせの記憶の反芻。この夜のボーリングの勝負は、夏波の将来を左右する賭けになるのだが、この夜の記憶もまた、はなればなれになってゆく家族の忘れ難い「しあわせの記憶」の一つになるに違いない。たとえどんなにうまくいっていない家族でも、そんな夜が、誰にとっても一つや二つはある。太郎が冬花に言う、「やりたいことなんて、そう簡単には見つからない。だから、人生は長いんだ」というセリフも良かった。

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もう一つ、本作で象徴的に描かれているのが、家族4人が食卓を囲む朝食だ。そもそも、太郎が始めた弁当屋は、「朝めしこそは命の源」を売り文句にした「低価格の朝食弁当」だったわけで、太郎が一日のはじまりである朝食に固執する男であることが、さりげなく、しかし一貫性をもって描かれている。そして、家族4人が最後に集まるのも、朝食を食べる食卓だ。それぞれの場所で生きることになった家族が、時々はこうして朝食を食卓を囲むことが今後も続くのか、それとも記憶だけになってしまうのか。

「風は冷たいが、家族の記憶があれば心は温かい」とフェリーのデッキでひとりごちる太郎だが、次のカットではなぜかフェリーを見送る陸に立っていて、「だめだ…寒すぎる」と言って港に背を向けて走り出してしまう。故郷の青森行き(?)のフェリーに乗り込んだんじゃなかったのか、太郎!? 家族の思い出だけじゃ、やっぱり心は暖かくならないのか? 一度は鍵をかけた我が家にふたたび逆戻りするのか? それとも自宅は三軒家万智に売却を依頼してしまったのか? はたまた風来坊癖が再発したのか? ひじょーに気になる終わり方ではあった。

そういえば、毎日放送開局記念番組にしては大阪色が希薄だな、と思ったが、「85年の阪神優勝時の応援メガホン」が太郎と純子をつなぐ重要な小道具になっていたので、まあ、さして問題はなかろう。









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by sakurais3 | 2017-01-12 12:36

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