1年後の三交製靴ラギッドシューズ

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三交製靴のラギッドシューズを買って、今日(2月17日)でちょうど1年が経った。東浅草の三交製靴に出向き、試し履きをさせてもらった黒のプレーントゥは、オーダーメイドしたかのように足にぴったりだった。

その辺りのことは昨年の今ごろのブログにも書いているし、それ以降も何度か書いている。Twitterでもしつこく写真を載せつづけているのでいい加減うんざりされているかもしれない。

性懲りもなく三交製靴の靴を撮った写真をTwitterに載せてしまうのは、何も「もう手に入らない靴」を自慢したいからでは、ない。誰かのためというより、この靴を履きながら歩き、時を重ねていくよろこびのようなものを記録しておきたいという、ただそれだけの個人的な感情にすぎない。「ただそれだけの個人的な感情」を綴るのがブログやTwitterではないのか。

昨年の2月17日、三交製靴を訪れた時点では、その3ヵ月後に廃業してしまうことは知る由もなかったが、今さらながら、思い切って訪問して本当に良かったと思う。小雨に煙る東浅草界隈の景色と三交製靴社内の何とも言えない雰囲気を、1年経った今でも鮮明に思い出すことができる。いろいろな場所でいろいろなものを買ってきたが、あれほど独特の「買い物体験」はなかなかないような気がする。

おかしな話だが、靴を買って帰ってきた、という感覚がないのだ。たとえば書道を嗜むひとが、都心から少し遠出をして(川越とか小布施とか)筆をつくる職人の工房を訪ね、気に入った筆を1本買って帰るような、あるいは和紙の工房を訪ねて好みの紙を吟味して買って帰るような、そうした感覚に近いものがある(実際に遠出して筆や和紙を買った経験はないが)。

この辺りの感覚と、靴を買うという行為がその瞬間から良い思い出になってしまうような不思議な(そしてとても幸せな)体験について、いまだにうまく自分以外のひとに伝えることができないでいる。三交製靴の靴が丸善でマナスルシューズとして売られていた時代に買っていたとしても、大いに気に入って履きまくっていたとは思うし、本来つくり手やメーカーは背後に隠れた匿名的な靴だとは思うのだが、私にとって三交製靴の靴は三交製靴に出向いて買った体験とセットになっている。だから、三交製靴の靴を履くたびに脳裏に浮かぶのは丸の内や日本橋の丸善ではなく雨の東浅草だ。

その思い出を革でくるみ、きゅっと紐でしばり、今日から2年目に入るラギッドシューズを履く。


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by sakurais3 | 2016-02-17 14:44

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