最近、服装で年齢・職業が分からないひと、多いですよね問題

TBSラジオで土曜日の日中に放送している『久米宏のラジオなんですけど』を掃除や洗濯をしながら時々聴いている。少し前の話題で恐縮だが、4月18日放送のテーマは「春の装い その服装はNGでしょう」というものだった。


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久米氏いわく、「最近、街を歩いているひとを見てよく思うんですけど、服装からそのひとの年齢や職業が判断つかなくなっていると思いません? うしろから見て若いひとかなと思って前にまわって顔を見たらすごく年配だったなんていうことも多いし、みんながみんな好き勝手な格好をしているから、服装だけ見てもそのひとの年齢や職業がまったくと言っていいほど見えてこない。スーツにネクタイをしていればビジネスマンかなと思うけど、これがプライベートの服装になった途端、年齢不詳・職業不詳のひとになってしまう」という、だいたいこのような趣旨の疑問というか疑念から生まれたテーマらしい。

「たとえば、宅急便の配達のひとは制服を着ているから職業が分かるし、ある程度歳も分かるけど、仕事を終えて普段着に着替えて会社から出てきたら、もう何をやっているひとで何歳くらいか全く分からない」(久米)という話からはじまり、ファッションジャーナリストに電話でそこら辺の疑問をぶつけたり、リスナーからエピソードを募ったりしていて、なかなか興味深い内容だった。

リスナーからの投稿で笑ったのは、「街中でおじいちゃんが“KILL ME”と書かれたトレーナーを着ていた。おそらく孫が着なくなった服を意味も分からず着ているのでしょう」というもの。僕も先日、ステューシーのロゴが入ったダボダボのトレーナー(たぶん偽物)を着たおじいちゃんを見かけた。孫の着なくなった服を「まだ着れるのにもったいない」と無自覚に着るお年寄り問題というのは確かにある。少し前に若者の間で流行ったアイテムがお年寄りの間で無自覚にリバイバルしている図というのは、なかなか凄いものがある。

10代の学生はだいたいこんな服装をしていて、20歳前後の大学生はこう、社会人になるとこうなって、30代、40代になると…というように、服装と年齢および社会的属性はなんとなく関連していたほうが確かに座りがいいようには思うし、接していてもどこか安心感がある。特に日本人の場合、欧米諸国のひとたちと比べて若く見られがちなうえ、さらに歳よりも若く見られることを美徳だと思っているフシもあり、その傾向はここ数十年でより顕著になっているような気がする。その原因がどこにあるのかはよく分からない。「大人になり切れないオトナコドモが多い社会的状況の産物」とひと言で片づけてしまうには、あまりにスタンダード化しているし、その様相はますます加速化しているようにすら思える。男も女も、服装と年齢・職業の不一致はもはや当たり前ということなのだろうか。分かりやすい例でいえば、「上から下までAPEだった志村けん」みたいな初老の男が結構いるのだ。この前は、マンハッタンポーテージのメッセンジャーバッグを斜め掛けしてベン・デイビスのニットキャップを被りエアマックス90を履いた70歳くらいの老人を見かけた。

たとえば、50~60歳くらいの男で、昔から着ているであろうボア付きの革のジャンパーやMA-1のようなフライトジャンパーを今も着ているひとを飲み屋などでたまに見かけることがある。若い頃からずっと同じものを着つづけているのかもしれないし、昔誰かに褒められた記憶がそのままアップデートされず、同じようなものを買い直しているのかもしれないが、これはまあ「お好きなんですね」で片づけられることかもしれないのであまり問題はなさそうだとは思いつつ、とはいえ20代の頃から髪型や服装のコンセプトがほぼ変わらない50歳前後の男女というは一体何だろうな、とは思うし、結果的に年齢・職業不詳感が濃厚になる要因にもなろう。

『ラジオなんですけど』のリスナーからの投稿でもうひとつ笑ったのは、「最近、いわゆる怖い職業のひとたちの格好がいかにも怖いひとたちのソレではなく、起業したIT社長風だったり某ダンスグループのひとたち風だったりするから紛らわしい。怖いひとは服装で明確に怖いひとだと主張してほしい(大意)」というもの。たしかに、昔のヤクザ映画に出てくるような分かりやすいひとたちは今や絶滅危惧種であって、服装としては今風でスタイリッシュ(?)だったりするから、その暗黒ぶりが外から見えづらい。今どきタトゥーを入れているからそのスジのひとたちだなどとは誰も思わない。これも服装と年齢・職業不一致の事例のひとつだ。

戦後70年の日本を振り返ってみると、今70歳のひとたちはビートルズと同世代な訳で、60代のひとたちはジーンズやスニーカー、あるいはロックやマンガといったカルチャーの洗礼をモロに受けていて、そういう世代が今やおじいちゃんおばあちゃんになっているという人類史上初の時代が到来しているのだということが分かる。何やら話が壮大になって収拾がつかなくなりそうだが、ようするに問題なのは「服装とそのひとの年齢・職業は一致していたほうが正しいの否か」ということだろう。

そもそもおまえは年齢・職業にふさわしい格好をしているのかと聞かれれば、武田鉄矢が「J・O・D・A・N!ジョーダン!」と大袈裟に手振りをする勢いで「N・O!ノー!」と言わざるを得ない。





そもそもが実年齢より下に見られがちということもあり、意地の悪いひとからは若作りだなどと揶揄されることもあるが、決してそうではなく、単に自分が快適で、かつひとにも不快感を与えないであろう格好で、さらに時代錯誤感のないよう心がけていると自ずとそうなってしまうだけなのだ。

一方、ライターという職業は、これまた年齢不詳感が出やすいといえる。ある程度その時々の流行り廃りに敏感である必要もあり、自分の年齢よりも下の世代が享受するカルチャーに触れる機会も多く、思考や発想を柔軟にしておく必要もあるから、いきおい成熟というものとは程遠くなる。取材相手にもよるが、スーツにネクタイで臨むと相手に不必要な壁や警戒心を与えてしまうこともあるから、普段からあまりカチッとした格好はしない。ジャケットを着ても下はデニムだったりする。久米宏も「私も先日、90歳の学者の先生にインタビューするのに、くるぶし丈のコバルトブルーのパンツを履いていたくらいなので、まったくひとのことは言えない」と述懐していた。

とはいえ、しかし、と思う。そろそろ、ちゃんとした大人の格好をしなければ、一体いつ大人の格好をするのだ、と。男の場合、社会において実年齢よりも下に見られて得することは実はあまりない。仕事の場で軽んじられる可能性も高いし、年齢層高めの激シブな居酒屋で常連や店主に適当にあしらわれ末席に追いやられるのが関の山だろう。つまり、なめられる。まあ、異性には多少モテる、かもしれない。

年齢と職業に合致した大人の服装。これが、実はいちばん難しいのではないか。難易度が高いから、みんなよくわからない年齢不詳なひとびとに成り下がっているのかもしれない。たとえば、取材して文章を書く職業だからといって、ツイードの上下を着て口髭を生やし、銀縁の丸眼鏡をかけて胸ポケットには常に万年筆を差していたりすると、これはもうコントの衣装かコスプレをしているようにしか見えないだろう。

久米宏のラジオでは、明確なテーゼというべきものは示されずに終わった印象だったが、このテーマはいろいろと膨らませようがありそうだ。

せっかく縁あって三交製靴のラギッドシューズという素晴らしき革靴を履くようになったこともあり、そこから逆算するかたちで、しかるべき大人の男の服装なるものを構築してみたいと思っているのだが、よくある「できる男の服装術」みたいなものにはほぼ惹かれるものがないというのもまた由々しき問題なのである。

たとえば老舗の蕎麦屋で昼酒をしても、渋谷のCDショップを物色しても、神保町の古書店をうろついても、女子率の高い恵比寿のビストロに居ても、ホテルのバーで飲んでいても浮かずに、それでいて自分らしい格好というものができれば、などと考えるのだが、はてさて。




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by sakurais3 | 2015-04-26 15:00

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