さすがにもう三交製靴のラギッドシューズのネタもないだろう。読まされる方もいい加減うんざりだし。そう思ったあなたは、甘い。
いや、まあ三交製靴は既に注文の受け付けを終了しているし、ここで何か新しいトピックがある訳ではない。今ごろ駆け込み需要で殺到したと思しき大量の注文をさばくべく職人さんが汗をかきかき日々懸命になっていることだろう(想像)。
そんな自分は、本当はあと一足くらい何か注文しておいたら今後も安心だったのだが、などと思いつつ、黒と茶のプレーントゥを粛々と(?)履く日々なので、特にここであらためて書き記すことはない。
と思っていたのだが、茶のプレーンを履くようになって、随分前に購入したカバンを久しぶりに引っ張り出して愛用するようになり、あらためて「いいカバンだよなあ」と思える再発見があったので、そのことについて少し書いてみたい。
そのカバンとは、工房HOSONOのブリーフケース、いわゆる書類入れ用のカバンである。エディターズ/ライターズバッグというか、打ち合わせや取材用に使い勝手が良いカバンというイメージで既存の型を少しだけカスタムするセミオーダーの形で10年ほど前につくってもらったものだ。
工房HOSONOの歴史は大正元年にまで遡る。その分厚いヒストリーについては
サイトを見ていただくのが早いが、「細野防水布店」として東京・神田で人力車の幌や車夫の雨合羽をつくることから始まったというルーツには何かワクワクするものがある。布製にも関わらず撥水性に長けているのはその発祥にあるのだろう。
しかも、今サイトをあらためて見たところ、昭和12年から37年(つまり戦前から前後にかけて)日本山岳隊「マナスル登山隊」のリュックやテントをつくっていたという。「マナスル」といえば、三交製靴のラギッドシューズはかつて丸善で「マナスルシューズ」の名で販売されていた靴だ。いわく「登山靴の履き心地を都会でも」とのコンセプトだったというが、マナスルシューズ=ラギッドシューズと工房HOSONOのカバンはルーツ的にも好相性なのではないか。言ってみれば、マナスルシューズとマナスルバッグ。しかも、工房HOSONOは神田で誕生し、現在は上野に拠点があり、三交製靴は浅草なので、エリア的にも近い。
という訳で、ここ最近は三交製靴のラギッドシューズと工房HOSONOのバッグを組み合せることが多い。どちらも職人の手による丁寧な仕事の産物であり、Made In Tokyoとしての相性の良さのようなものを感じなくもない。帆布のバッグといえば、かつてお家騒動があった京都の一澤帆布が有名だが、こちらは勝手に「西の一澤、東の細野」と呼んで東京の細野を贔屓にしていた。まあYMOファンとしては細野という名に針が振れることももちろんあったのだが、そういう意味では、「丸善のマナスルシューズ」をレコメンドしていたYMOのアートワークで知られるデザイナー、奥村氏の件も含め、ラギッドシューズとHOSONOのカバンはベストマッチなのかもしれない、などと思った。
三交製靴は90余年の歴史に幕を引くことになったが、工房HOSONOは今もつづいている。生地はタフ、縫製は丁寧でカバンとしては丈夫だが、デザイン的にはいろいろと言いたいところもある。だから、既存のデザインや素材をベースにしながら、自分仕様にカスタムしようと思ったのだが、もともと在庫があるもの以外は注文を受けてからつくるので、セミオーダーをしても価格は既製のものと変わらなかった。
これが既製のブリーフケース。
分かりづらいかもしれないが、ベージュの帆布に茶のレザーで縁取りしている既存のブリーフケースの持ち手の部分を茶に変更し、前面のファスナーの両端に茶のレザーで三角形の留めを付けている。単なるデザイン上のことなのだが、HOSONOの看板アイテムともいえるリュックサックに見られるレザーの留めが(デザインとして)気に入っていたので、本来ブリーフケースには付かないのだが、あえて付けてもらった。
そして、これは元々のデザインだが、背面のポケットには折りたたんだ新聞(たとえば朝日の『GLOBE』など)や薄手の雑誌(たとえば『AERA』とか)を無造作に差せるようになっているのも気に入っている。そして持ち手の部分は、元々は帆布だったものを、あとからスーパーの紀ノ国屋で売っていた茶レザーのグリップ(紀ノ国屋オリジナルショッピングバッグに付ける用のもの)に付け替えている。手で握った感触がグッと向上し、見た目も良くなった気がする。
というように、微妙にアレンジを加えてオーダーし、愛用していたバッグだったのだが、デイパックやメッセンジャーバッグなどを愛用するうちにいつしか後方に追いやられてしまった。
ラギッドシューズとともに、今ふたたびHOSONOのバッグを持ち歩こうと思う。