目は口ほどに物を言うか?---『ビッグ・アイズ』


汐留でティム・バートンの新作『ビッグ・アイズ』の完成披露試写。


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前作『フランケンウイニー』では「僕の好きなバートン」が帰ってきた!と喜んだものだが、本作が実話ベースの話だと聞けば、どうしたって『エド・ウッド』を思い出す。


1950年代後半から60年代はじめ、アメリカで人気を博した「でっかい目の少女」の絵画“ビッグ・アイズ”シリーズを描いたウォルター・キーン。ある時期の日本でいえばヒロ・ヤマガタかラッセンか、というほど、彼の絵は当時のアメリカの町や家庭に氾濫していたという。ところが、実はそれを描いていたのはウォルターではなく、妻のマーガレット・キーンだったのだ。


さながらサムラゴーチとニイガキさんの関係のように、ピュアに創作に励む者は表に出ず、商魂たくましく売りさばく者が前面に出て、さも自分の作品かのように喧伝し続けたのである。そして、その結果、絵は爆発的に売れたのだった。しかし、サムラゴーチ/ニイガキ問題と異なるのは、ウォルターとキーンが夫婦だということだ。考えようによっては、妻が絵を描き、夫がそれを売りまくり、儲けた金はふたりのものなのだからそれほど問題はないような気もするが、マーガレットは自分の描いた絵が売れ、人気を博していくにつれ、夫のみが名声をひとり占めし、「その絵を描いたのは実は私だ」と公言できないことに次第に耐えられなくなっていく。実の娘にすら明かせない秘密が、マーガレットの絵をさらに奥深いものにしていった、ともいえるかもしれない。ビッグ・アイズの大きな瞳は、何も語れないマーガレットの心の声を伝える唯一の窓だったのか(マーガレットの狭いアトリエの小さな窓はいつも閉ざされている)。


5060年代初頭は、アメリカですらまだ男性優位社会で、女性の社会進出が確立していなかったという時代的な背景も、もちろんある。この映画は、女性が男性に従うしかなかった保守的な社会にあって、マーガレットが自分の存在意義や女性の地位確立を表明するために声を上げる話だともいえる。


ウォルターは、自分で描いた訳でもない絵を口から出まかせで解説して売り込むようなペテン野郎なのだが、完全な悪人として描かれているわけでもないし、マーガレットを落ち度のない完璧な正義のひととして描いてるわけでもない。この辺りの視点が、本作を一種のコメディたらしめている。そう、この映画、結構笑えるのである。たとえば、ニイガキさんがゴーストライターだと告発したもののサムラゴーチが「いや、この曲は私がつくったのだ」と言い張って一歩も引かなかった場合、さてどうやって決着を付けるのか、というような展開に終盤はなっていく。


実話ベースの話なのでネタバレも何もないのだが、詳しく知らないひとは知らないまま観たほうが面白いだろう。僕自身、キーンにまつわるエピソードをほぼ知らずに観たのでかなり驚いた。アートとコマーシャリズムはいつの世も常に矛盾し、乖離しがちだが、ウォルターとマーガレットのふたりが、その相反するふたつを体現していたともいえるだろう。


CGVFXなどのギミックを極力排した人間ドラマ。ウォルター役のクリストフ・ヴァルツのナオト・インティライミばりのつくり笑顔(失礼)はいかにも胡散臭くて最高だし、『アメリカン・ハッスル』『her』も印象に残るマーガレット役のエイミー・アダムスのちょっとオツムが弱そうな感じも絶妙だ。


公開は2015年1月とのこと。


挿入されるラナ・デル・レイの曲が実にハマッていた。アメリカの光と影。






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by sakurais3 | 2014-12-11 18:28

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