DVDで『横道世之介』『舟を編む』『はじまりのみち』


ツタヤの準新作1週間41000円で借りてきた映画を見終った。

 

前記事の『クロニクル』のほかに、『横道世之介』『舟を編む』『はじまりのみち』を。いずれも2013年、評判のよかった邦画だが、結論からいえば、どれも見ておいてよかった。

 




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『横道世之介』は、なんというか「心当たりのある世界」の話だった。80年代のディティールの再現力は、冒頭の新宿駅東口のショットですぐに見て取れる(駅前には斉藤由貴のAXIAの看板が掲げられている)。ぼくは地方出身者ではないが、ここで描かれる大学生活には心当たりがある。周りにはこういう奴がいたし、多かれ少なかれ自分もこういう行動をしていたはずだ。当時はそれなりにイケているつもりでいても、もし今の自分があの頃にタイムスリップしたらきっと目を覆いたくなるくらい恥ずかしいことをしていたに違いない。

 

それでも、あの時間のなかにしか存在しない何かがそこには確かにあり、それははじめての一人暮らしでがらんとしたアパートの床に思わず寝転んでしまったときのような、なつかしさと寂しさが同時に胸に去来する感覚を思い起こさせる。まだ時間は無限にあると無邪気に信じていた。

 

主人公・世之介は、物語の中心にいるが、彼の内面は描かれない。つねにヘラヘラと薄ら笑いを浮かべ、無邪気に、地に足の付かない気配で、そこに居る。あの頃は、あれだけ一緒の時間を過ごしたにも関わらず、特に理由もなく会わなくなってしまった友人。あとからその姿を思い出すと、思わずこちらも笑ってしまうような、そんな奴が、確かにあの頃の大学にいたのだ。部室のベンチに、学食の片隅に、ハンバーガーショップのテーブルに。

 

浮世離れしたお嬢様・与謝野祥子を演じる吉高由里子が何と言ってもすばらしい。とらえどころのない不思議ちゃんという彼女にまつわるはパブリックイメージは、この役を演じるためにあったのではないか、とすら思えるほど、その屈託のなさが役柄に見事にマッチしているし、大人になった姿との対比も効いている。


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見終って時間が経っても、世之介と祥子のシーンを思い出すと涙腺がゆるくなるのはなぜだろう。心当たりがある。確かに、あの二人のやりとりには心当たりがあるのだ。それはつい昨日のことのようであり、遠い過去のことのようでもあり。

 

高良健吾、吉高由里子、そして井浦新も出ているとなれば『蛇にピアス』を嫌でも思い出すわけだが、およそ同一人物とは思えない。

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監督は『南極料理人』の沖田修一。脚本には沖田の中高の同級生にあたる劇団「五反田団」の前田司郎も参加している。『天然コケッコー』『桐島、部活やめるってよ』を手掛けた近藤龍人の撮影もすばらしい。

 




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 『舟を編む』は、制作がリトルモアで原作が三浦しをん、主演が松田龍平となれば『まほろ駅前多田便利軒』の流れでつくられたのか、などと思うのだが、映画版まほろにいまひとつノレなかった者としては(大根仁監督のドラマ版はすばらしかった)、監督は異なるものの、やはり同じような理由でこちらも全体としてはあまりノレなかったというのが正直なところ。内容はまるで違うが、長尺、淡々と進む物語という点で共通する『横道世之助』と比較するといろいろ合点がいく気がする。

 

個人的な話だが、ぼくの祖父は国文学者で、ある時期、辞書の執筆をしていたことがあるらしい。直接、そのときの苦労話などを本人に聞いたことはないが、「長い年月をかけて一冊の辞書をつくるひとたちの話」と聞けば、当然ながら琴線に触れないはずはない。

 

辞書に限らず編集作業というのは地味なもので、それ単体ではドラマや映画にはなりづらい。そこで、この物語は辞書編纂室の人間ドラマ+主人公と下宿先の大家の孫娘との恋愛という要素をもってきてドラマとして成立させようとしている。たしかに、延々と机に向かって校正作業してるだけの映画を2時間以上見せられても観客は途方にくれるだけだろう。

 

それはまあいいのだが、加藤剛や小林薫やオダギリジョーや八千草薫といった役者が揃っているにも関わらず、なんとなく各人物の描き方が書き割りっぽいのだ。さすがに加藤剛や小林薫だから放っておいてもいい味が醸し出されてしまうのだが、よく考えてみると人物としての描き方は結構浅いのではないか。

 

とくに気になったのは、松田龍平演じる馬締(まじめ)と宮崎あおい演じる香具矢(かぐや)の描写。「恋愛に理屈は必要ない」といえばそれまでなのだが、このふたりが互いに惹かれる理由が結局よくわからない。「第一印象から決めてました」ってな話なのかもしれないが、それは物語的には逃げなわけで。下宿している部屋に膨大な書物を買い込んでいるコミュ障っぽい書物オタクの馬締(大家のばあちゃんと通い猫くらいしかコミュニケーションする相手がいない)と板前修業をしている美女・香具矢の間に、何か相手の欠点や欠落を補完するようなキャラクター的あるいは職能的な要素があってしかるべきじゃないか、などと見ながらそのことばかり気になっていた。

 

だって、これ松田龍平だから問題ないけど、変わり者の書物オタクが宮崎あおいに無条件で好かれるなんてことは現実にはほぼありえないわけで、そこがドラマ的にはいちばんポイントになる部分のはずなのだが、かなりあっさりとお互いを受け入れちゃうのだ。原作でも、馬締が香具矢にはじめて会って恋するまでに2行くらいしかない。MajiKoiする2行前だ。

 

という辺りが妙に引っかかって、「一冊の辞書をつくり上げたひとびとの情熱と感動の物語」という名の舟にすんなり乗り込めなかった。なんとなく自分に近い世界の話だから、ということもあるのかもしれないが、どうもそれだけじゃない気もする。

 

そうはいっても監督の石井裕也はまだ30歳なので、人生の機微や重層的な人間ドラマを描くのはこれからなのかもしれない。なにより、これだけの豪華キャストをさばいて破綻なくまとめ上げる手腕には驚く(そのソツの無さも結構気になるところではあるのだが)。

 

作品自体、評判がいいのはよくわかる。一つのことに情熱を注ぐことのすばらしさ、ことば、活字に対するこだわり。それらを2時間枠のスペシャルドラマのようなわかりやすさと豪華キャストで描いている。いい映画、なんでしょうけどね。

 

 

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『はじまりのみち』は木下恵介生誕100年プロジェクトの一環として制作された作品で、大傑作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ オトナ帝国の逆襲』などのアニメーション作品で知られる原恵一がはじめて実写を撮ったことでも話題になった。

 

「話題になった」といっても、はたしてクレしんを絶賛していたひとたちがこの実写映画を見たのかというとそうでもなさそうだ。どうも「アニメーション好き」と「木下恵介」は食い合わせが悪いらしく、本作を評価しているのはおもに木下恵介ファンのようだ。

 

しかし、これこそ木下恵介の「き」の字も知らないひとこそが見るべき、木下恵介作品の絶好の入門編になっている。むしろ、一本も木下作品を観たことのないひとこそ見るべきだとすら思う。

 

2回見て、2回目のほうがジーンときた、というのは本物の映画の証だろう。本作は、戦時中、軍の国策映画を撮らされるも、そこに「出征する息子を思う母の愛」を入れ込んだがために「こんな感傷的な話じゃ戦意高揚になりゃあせん」と軍に否定され、次回作を撮れなくなった木下恵介があっさり松竹を辞めるところからはじまり、ふたたび監督になる決意を固めるまでを描く。

 

つまり、ある挫折によって一旦は夢をあきらめかけたが、ふたたびその夢に向かって一歩を踏み出す「までの」映画。

 

2度見て気づくのは、無駄なセリフが一切ないということだ。1時間半程度の心地よい尺に、言うべきこと描くべきことが過不足なく盛り込まれ、押しつけがましくなく見る者に届く。

 

 本来「戦争って嫌だな」というメッセージを言うはずが、ともすれば「やべー、ゼロ戦カッケー」な内容になっているという本末転倒な作品とは異なり、スペクタクルとしての戦争シーンは登場しない。病気の母親をリヤカーに乗せ、峠を越えて疎開先に運ぶという、たったそれだけの骨子のなかに「戦争って嫌だな、うまいもんも食えないし」「軍に否定されても、たった一人でも自分の映画がもっと観たいと言ってくれるひとがいればそれでいい」といったメッセージが、ほんとうにさりげなく置かれている。

 

 スペクタクルを描かないのは予算の都合なのかもしれないが、この作品においてそれはむしろ必要のない要素だ。というのも、これは戦争を題材にしているのではなく、前述のとおり、挫折を味わった男がふたたびリングに上がる決意をする話だから、むしろ戦争のシーンを描かないことで時代を超えた普遍的な物語になり得ている。ようするに、これはぼくや君にも当てはまる話なのだ。

 

そして、その決意を促すのは、母親のことばであり、名前も知らない一期一会の便利屋のことばだったりする。

 

母親を運ぶのを手伝う便利屋を演じる濱田岳がとてつもなく重要な役割を担っている。若い頃の火野正平を思わせる風貌でもって、笑いをとりつつ泣かせてくれる。伊坂幸太郎原作の映画やドラマ『終電バイバイ』など、これまで見たいくつかの作品なかでもダントツにいい芝居をしていた。

 

もちろん、木下恵介を演じる加瀬亮の、寡黙ながら内に秘めた頑固さを体現する様子も好ましいし、その兄を演じるユースケ・サンタマリア、父の斉木しげる、そして何と言っても母を演じる田中裕子の圧倒的な「母親感」。親切な宿屋の夫婦に光石研と濱田マリ。娘2人は『あまちゃん』GMTメンバーの松岡茉優と山下リオだ。すべてのキャストがそれぞれの持ち味を活かした存在感を発揮していて申し分ない。

 

ラストに置かれた木下作品のダイジェストが長すぎるという意見もあるらしいが、あそこで選ばれたシーンにはもちろん意味があり、実は本編で描かれたエピソードが後の作品のヒントになっていることがわかる仕掛けになっている。

 

忘れがたい一本になった。

 

惜しむらくは、初夏の蒸し暑さが画面に定着していないことだろうか。「暑くなりそうだな」とか「馬鹿暑い」などと登場人物に言わせているものの、画面からはさほど熱気や湿気を感じない。撮影時期が秋口だったらしいのでいたしかたないのだが、もし夏の時期に撮影をしていたら、峠を越えるしんどさがもう少し出たのだろうと思うと残念だ。

 

 

 


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by sakurais3 | 2014-01-08 23:28

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