空飛ぶあまちゃんな彼女の家族ゲーム----2013.春ドラマ総括

春のドラマが軒並み最終回を迎えたので、続けて見ていたものに関してざっと総括を。

「家族ゲーム」

81年に発行された原作は、「核家族」「受験戦争」などのワードが広まった時代の産物だった。その原作を元に森田芳光監督が松田優作を迎えて実験映画風(いま思えば小劇場風でもある)にアレンジした83年の映画版は一種の伝説となった。長淵剛主演のドラマ版は「スパルタ」の要素が強く、のちの「GTO」的ヤンキー先生テイストの元になったという印象がある。

櫻井翔がこのドラマをやると知ったときには、「いやー、それはちょっとどーなんだろう。っていうか、いまさら家族ゲーム?」と思ったものだが、実際に見てみると、人の神経を逆なでする変人家庭教師・吉本荒野役に実にハマっていて驚いた。少なくとも、これまで見た櫻井翔のドラマ(それほど熱心に見ているわけではなかったが)のなかでは群を抜いている。

何を考えているのか、何が目的なのかまるでわからないが、アメとムチでもってなかば強引に家族を手玉にとっていく様は、背筋が寒くなる。家族という閉域がある人物によって巧妙にコントロールされていく姿は、たとえば先日放送されたNHKの「未解決事件」角田美代子の回を想起したりもする。

適材適所に配されたキャスティングをはじめ、「マルサの女」でおなじみ本多俊之の劇伴もばっちりハマり、スリリングなドラマになった。終盤、実は田子雄大という男が吉本荒野になりすましていたことが明かされるのだが、松田優作や長淵剛が演じた伝説のキャラクター・吉本荒野を2013年に甦らせるために、「なりすまし」という概念を持ち込んだのは正解だろう。

田子雄大がなぜ吉本荒野を演じることになったのか、ドラマでは田子の過去語りとともに明かされることになるのだが、実はそれすらもフェイクではないのかということも匂わせるラストは、全て丸く収まってチャンチャン、という予定調和を崩す不穏さがあってゾクゾクした。

だから、最終話を見終って時間が経ったいまも、吉本荒野=田子雄大のヒステリックな笑い声が耳から離れずにいる。そう、奴はいまもどこかで、あらたなターゲットを探して目を光らせているのかもしれない。


「幽かな彼女」

本来、やる気も情熱も持ち合わせていたのだが、とあることをきっかけに生徒ときちんと向き合うことをあきらめてしまった冷めた教師を香取慎吾が演じる。

かつて熱血女教師だったらしい幽霊・アカネにあれこれ励まされ、教師としての情熱を次第に取り戻していくという話なのだが、香取が受け持つクラスの副担任である前田敦子が、これまた輪をかけてやる気のない教師で、生徒の前ではいい教師をそつなく演じているつもりなのだが、裏表ありの姿を見透かされ、生徒による評価ランクは最下位。すっかり自信喪失でマスコミ関係に転職しようとするも、面接でけちょんけちょんにされ、さらに落ち込む…という自意識だけは高いが実態が伴わないイタい女教師を前田敦子が好演していた。

抜群の存在感を残した映画「苦役列車」「クロユリ団地」と、女優として着実にいい仕事を積み上げている前田敦子の主演ドラマとして本作を最後まで見ていた者としては、終盤、とある事件によって教師として覚醒する瞬間の彼女の芝居には鳥肌が立った。

実際、ネットのコメントなどを見ると、「はじめてこのドラマで泣いたのが前田のシーンだった」とか「まさか前田敦子で泣かされるとは」みたいな感想が散見され、どちらかといえばアンチともいえるような人たちですら、このときの芝居を評価していることがわかる。

杏演じる幽霊アカネは、80年代に教師だったという設定なので、私服のセンスがパステルカラーのエイティーズテイストだったり「ドボチテドボチテ」みたいに両手の人差し指を合せる「昭和しぐさ」をしたりと、その時代錯誤ぶりがかわいい。

が、あくまで本作の主演は前田敦子なのである。誰が何と言おうと。


「空飛ぶ広報室」

航空自衛隊の広報室を舞台にした有川浩の同名小説をドラマ化。

新垣結衣演じる帝都テレビのディレクター・稲葉リカが航空自衛隊担当となり、彼女の視点を通して航空自衛隊広報室の活動が描かれる。はたして、自衛隊を広報するというのはどういう仕事なのか。どうしても軍事という視点で見られる存在なのは事実だが、門外漢だったリカの視点から素朴な疑問がぶつけられ、相対化されるため、そうした世間のイメージと実際の活動とのギャップなども丁寧に描かれていく。

特に終盤は、東日本大震災を描くことによって、災害救助という自衛隊の重要な役割が浮き彫りになる。

事故によってブルーインパルスのパイロットの夢を絶たれ、広報室へ異動となった空井(綾野剛)と、もともと報道局のバリバリの記者だったにも関わらず、ある事件によって情報局に異動させられて「街角グルメ」なんか担当させられているリカ。このふたりが互いに惹かれ合い、すれ違っていくあたりは、月9的な恋愛ドラマでもある。

たまたま航空自衛隊の広報室という、一般の人間には馴染のない場所を舞台にしているだけで、人間ドラマ、恋愛ドラマとして、ある普遍的なメッセージを内包しているという意味では、とてもオーソドックスな物語だといえる。

震災における救助活動を通して自衛隊をヒロイックに描くのであれば、若干違和感を覚えたかもしれないが、そうではなく、劇中でも広報室の人間に「リカさんなら、我々を英雄視せずに取材してくれると思ったんです」みたいなセリフを言わせていたりして、きちんと距離感をもって描いている点には好感をもった。

勝気で仕事もできるけど中身は実に女の子なリカを申し分なく演じるガッキーはいまさらながら神がかった可愛さだし、何かというとすぐ涙目になる空井のキャラクターは反マッチョ的。このふたりがとにかくチャーミングだし、広報室長を演じる柴田恭平も久しぶりに飄々とした持ち味を活かして好演していた。

広報室の面々のキャラクターもきちんと描き分けられていて、見ていると自然と彼らに愛着がわいてくる。こんなにさわやかでいいのかしらと思うくらいさわやかな終わり方だった。

数々のヒット作を生んだ磯山P、土井Dの王道感あるつくりが見事にハマッた。



さて、「あまちゃん」はついに本日から東京編がスタート。3ヶ月間、その展開に一喜一憂してきた我々は、東京編開始早々、すでに北三陸が「懐かしく」なっているという実に奇妙な状態に陥っている。

東北訛りの女の子がアイドル目指して東京にやって来る、という図式は従来の朝ドラのスタイルを踏襲しているが、大きく違うのは、主人公アキはもともと東京で生まれ育ったという点だ。

本来であれば、東北出身の女の子が上京する話にすればいいところを、あえて東京→岩手→東京(そしておそらくふただひ岩手へ)というプロセスを踏ませることには、きっと意味があるはずだ。

それは、とりもなおさず母・春子の東京での挫折に由来するのだろうし、母の過去が明らかになるとともに、その果たせなかった夢を娘であるアキが果たせるのかやっぱり果たせないのか、というのが東京編の物語の核になるのだろう。

クドカンは、「11人もいる!」でビッグダディを引用しつつ、しかしビッグダディ的(DQN的)ではない、「こういう大家族だったらいいよね」という家族像を提示して見せたが、「あまちゃん」東京編では、AKBやももクロ、その他無数のローカルアイドルが乱立する現代のアイドル事情のディティールを採り入れつつ、クドカンの考えるアイドル像をどう提示していくのか。

そして、今後、東京と岩手の描き分けはどうなるのか。「北の国から」で東京に出てきた純が「父さん…そんなことはまったく知らなかったわけで…」と富良野の父に語りかけるみたいに、あるいは同じ倉本總脚本の「前略おふくろ様」で主人公サブが山形の母に「前略…おふくろ様…」と語りかけるように、アキがモノローグで母や祖母へ語りかけることになるのだろうか。

そういえば、「北の国から」の純も元々は東京生まれだったわけで、東京→富良野→東京→富良野というプロセスは、考えてみれば「あまちゃん」と似ていなくもない。

とまあ、あれこれ予想してもしかたないので、既に最終話まで書かれている脚本の手の上で転がされる快感を日々たのしみたいと思う。

夏ドラマは坂元裕二と岡田惠和のシングルマザードラマ対決か。こちらもたのしみ。



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by sakurais3 | 2013-06-25 00:30

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