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新藤ラーのリストと伊丹十三

新藤兼人監督が亡くなった。100歳。

以前、一度たけインタビューをさせていただいたことがあるが、今ファイルを探したら8年前、監督92歳のときだった。もうそんなに経つのか。

今はもうない雑誌「天上大風」の「長寿の秘訣を聞く」的な企画だった。新藤作品を結構観ていた者としては、インタビューでは映画や脚本の話にもかなり触れているが、記事のまとめ方としては当然ながら雑誌の意向に沿うものにしている。そのインタビュー記事から少し引用。
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---10年来、朝の散歩は欠かさないとか。
「医者から健康維持には散歩が一番だと言われたから歩いているだけで、散歩が好きだとか、歩くのが楽しい訳じゃないんです。一本でも多くシナリオを書きたいし、一本でも多く映画を撮りたいから、そのためだけに歩いている。たとえば、前の晩に不愉快なことがあって、翌朝その気持ちを引きずっていても、必ずいつものコースを同じ時間歩きます。不愉快な時は、不愉快なまま歩く。」

「僕はシナリオと監督、つまり映像に関する仕事以外は基本的にやりません。この仕事に携わることの喜びも苦しみもよく分かっているし、そこに自分の生き甲斐を見出しています。だから、死ぬ間際になっても、もう一本くらい何かシナリオを書きたい、書けるんじゃないか、と思う気がする。それくらい、仕事に執着をもっているんです。」

---そこまで仕事に執着する理由とは?
「それは、これまで経験したいくつかの挫折にあると思う。人間、生きていれば必ず挫折があります。どんな人でも、呑気に左団扇で生きてきた訳じゃないでしょう。その挫折を乗り越えるためには、仕事をするしかないんです。仕事には、それをしなければ食べていけないという物理的な面と、人の心を支える精神的な側面の両面がある。」

「人は何のために生きているのか。それは仕事をするためだろうと、ぼくは思います。仕事を失うと自分自身の支えを失うことになるし、そうなると〝真に生きていること〟にはならないんじゃないでしょうか。退職金も入ったし、貯金もあるから、あとはのんびり旅行をしたり、うまいものを食べて暮らそうという第二の人生が理想のように言われているけど、僕に言わせればそれは現実逃避であって、真に生きていることにはならないと思う。」

「若い頃、人は老人になると欲得がなくなるものかと思っていましたが、いざ自分がなってみると、歳とともにますます欲は深くなるし、とても仏のようにはなれません。家族から疎まれ、社会からは見放されるんじゃないかという恐怖心があるし、死に一歩ずつ近づいている意識もあるから、なかなか穏やかになれるものではない。過去に自分が人に傷つけられたことへの恨み、逆に誰かを傷つけたことに対する贖罪の念が強くなるし、渦巻く執念や妄念とも日々闘わなければならないから、老人の日常というのは全然平穏じゃないんです(笑)。」

「しかし、そうやって闘いながら生きていくのが老人の生き方だろうと思います。温泉やグルメに逃避している暇はないんです。老人だから、角(つの)も牙も失って従順に生きるべきだなんて僕はちっとも思わない。もっと猛々しく生きたいし、生きるべきなんです。」


こうして書き出していると、あらためて凄いひとだなと思う。

これを機に新藤兼人作品が(特に若い世代に)ふたたび注目されることを願う。

人間の営みの滑稽さ、怖さ、そして愛おしさを描いた、という意味では伊丹十三とも実は共通する部分がある。

などと思っていたら、昨夜、以前NHKのBSで放送された伊丹十三の特番が地上波で再放送されていた。番組は2本あって、1本は妻・宮本信子目線の再現ドラマで、2本目は関係者の証言によるドキュメント。昨夜の再放送ではこの2本目が放送されていた(1本目は見逃した)。

70年代、伊丹がナビゲーターを務めた「遠くへ行きたい」や郷里・松山の「一六タルト」のCMなど、新潮社「考える人」の伊丹特集の誌上採録(後に書籍『伊丹十三の本』に収録)で知っていた伝説の映像に興奮する。

84年の「お葬式」からちょうど13(十三)年の監督生活か。

これまたNHKで放送されていた「未解決事件」オウムの回を見たこともあり、このところ「オウムの時代」について考えていたのだが、ちょうど伊丹十三が映画を撮り始めた時期とオウムが活動を開始した時期はクロスする。もちろん、そこに因果関係はない(ちなみに84年は宮崎駿の「風の谷のナウシカ」が公開された年でもある)。

ここから日本社会はバブルへと突き進むことになるが、その狂騒の裏では「オウム的なるもの」が深く静かに進攻していた訳だ。たとえば「マルサの女」はバブルに浮かれる日本人に対する痛切な批評だった訳だが、一方オウムも「こんな世の中は間違っている」という警鐘を(表向きは)掲げて信者を増やしていった。

「ボディコンギャルがお立ち台の上で扇子片手に踊り狂う」おなじみのバブル期のイメージ映像を見るにつけ、当時アンチバブルなひとびとも実は一定数いただろうし、ちっともバブルの恩恵を受けていないひとだっていたはずだ、と思ってしまうが、あの「ボディコン映像」のせいで、今となっては「バブル時代は呑気でよかったですよねー」みたいな歴史観にまとめられてしまうのは違和感がある。

まあ、何が言いたいのかよくわからなくなってきたのでこの辺でやめにするが(つーか原稿の締め切りが!)、伊丹十三といえば「お葬式」や「マルサ」より「タンポポ」であり、全然ヒットしなかった「静かな生活」にこそ、彼の本質があると当時も思ったが、今もそう思う。

「タンポポ」は印象に残るシーンだらけだが、たとえばこのふたつ。




by sakurais3 | 2012-06-01 14:21

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