バンクーバーよりハンバーガー

オリンピックの中では、冬季が好きだ。地味といえば地味だが、あのクールな熱気とでも言うべきトーンは、好感がもてる。

が、気分はバンクーバーよりもハンバーガー。近所のロッテリアがいつの間にかBURGER KINGになって以来、ときどき利用している。チェーンのハンバーガーショップとしては、牛込神楽にあるモスバーガークラシックと同じくらいBURGER KINGが好きだ。

マック? テキサスもニューヨークも食指は動かず(ダブルクォーターパウンダーチーズを2回ほど食べて飽きた)、もっぱら190円のカフェラテをテイクアウトするだけだ。品物ができあがったことを知らせる音なのだろうか、レジ奥から響くあの「パララッ・パララッ・パララッ」という金属的なジングルがどうにも耳障りなので「店内でお召し上がり」する気にはならない。あの音は、KO線のホームに響きわたる「フィッフィー・フィッフィー」というふざけたジングル(何の音なのだろうか)に匹敵するほど耳障りだ。むかしのJRの発車ジングルにおける不協和音と同じく。そういえば、あの不協和音が人々を不安な気持ちにさせるとかなんとか、問題にならなかったか? 

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このところ、ジャケット+ネクタイという出で立ちで出かけることが多いので、ひさしぶりに万年筆を持ち歩いている。ジャケットの胸ポケットに差すのにauショップでもらったRISMOボールペンではどうにも格好がつかない(佐野研二郎デザインのこれもアリはアリか)。

PARKERの万年筆は、以前勤めていた会社を退職する際、そこのボスにいただいたものだ。その会社にいた4年間で、自分は取材と原稿執筆、編集のスキルを徹底的に学んだ。今こうしてライターとして飯が食えているのも、その会社にいたおかげだと思っている。そんな思い出のある万年筆ではあるのだが、正直ふだんはあまり使っていなった。しばらく使っていないとインクが固まるのか、なめらかに書けなくなるというのも、使わなくなる理由だった。

ひさしぶりに手にとり、試し書きをしてみると、案の定インクは出ない。カートリッジを確認すると、インクは空である。インクを買いに行かなければと思い、はて、どこに行けばいいんだっけと一瞬わからなくなる。確か、駅ビルの百貨店の文具売場に万年筆のコーナーがあったはずだという記憶を頼りに足を運ぶ。

記憶に間違いはなく、有燐堂書店に併設されるかたちで万年筆のコーナーが。PARKERの文字が見えるので、おそらくここでインクは買えるはずだ。コンシェルジェ然としたおばさまが立つカウンターで万年筆と空のカートリッジを見せ、この替えはありますかと尋ねる。おばさまは、万年筆とカートリッジを手に取りしばらく眺めたあと、「んー。このカートリッジは、もう製造していませんね」ときっぱりと言い放った。驚く俺。

「ん。合うものがあると思うので試してみましょう」と言うと、くるりと壁を向き、まるで薬局のような棚からカートリッジを取り出し、「インクはブルーブラックでよろしい?」と振り返る。そ、そうですねと曖昧に答えると、「前のカートリッジがブルーブラックですから同じ色のほうがよろしいかと思いましてね」と言う。そういうものなのかと思いながら、とにかくこの「万年筆を置く薬局のおばさま」の言うことを聞いておけば、「お薬、2週間分出しておきます。食間に2錠ずつ飲んでください」などと淀みなく指示を出してくれるのではないかという気持ちになる。

カートリッジを万年筆に差し、おばさまが試し書きをする。うまくインクが出ないのか、スポイトのようなものを取り出し、水を張ったビーカーのようなものの中でペン先をしゅこしゅこさせると、詰っていたであろうブルーブラックのインクが水中にびゅわんと広がる。「んー。ん。これで大丈夫でしょう」とおばさまは高らかに宣言し、白い紙にペンを走らせる。見事に、紺色の直線がすーっと描かれる。おばさまの一連の動きに、無駄はない。

プロだ。こういうのを、プロの仕事というのだ。あらゆる領域からプロがいなくなりつつある今、そうか百貨店の万年筆売場にはいるのだなあプロが。そう思えたことが、少しうれしかった。「お代は525円です」 5本入のカートリッジを買ったのだから、その程度の金額に決まっているわけだが、たったの500円で何かすごく大切なものを見せられたような気がした。


追記
万年筆の書き心地は快調である。表紙が気に入って丸善で買ったもののあまり使う機会のなかったレターペーパーで無駄に手紙を書いたりしている。
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イーストウッドの「インビクタス〜負けざる者たち」を観る。

南アフリカのアパルトヘイトに反発して30年近くも獄中生活を余儀なくされ、その後、初の黒人大統領となったネルソン・マンデラの実話を元にした作品だが、これはイーストウッドの映画というよりはマンデラ本人の希望によりキャスティングされたというモーガン・フリーマンの映画である。イーストウッドは、言わば雇われ職人監督として、マンデラおよびフリーマンの情熱というものに優しく寄り添うようにカメラを回している。

人種の壁を超える、復讐は何も生まないという、前作「グラン・トリノ」からつづくテーマはここでも健在だ。クライマックスとなるラグビーワールドカップのシーンの職人芸とも言うべきカメラワークはどうだろう。「祖国の団結」などというと鼻白むが、黒人社会と白人社会とに分断されたひとつの国がラグビーを通して融和するすがたは、スポーツに対してそれほど熱い気持ちをもっていない人間にとっても大いに胸を打つ。

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先週金曜のこと。銀座で打ち合わせがあったのだが、編集者♀はなぜか待ち合わせ場所をApple Storeに指定してきた。ひと足先に到着したので、ひとしきり新製品なんぞ冷やかしていると、遅れてきた編集は「じゃあ行きましょう」と言ってそそくさと店を出て行く。自由か!

どこに行くのかと思っていると、「ここのケーキが美味しいんです」と言いながら、とあるビルの2階にある喫茶店にずんずんと入って行く。どうやら人気店らしく、店内は満席。「あいにくカウンターしか空いていませんが」と言う店員に、「あ、じゃあテーブル空くの待ってます」と編集。いやまあ、カウンターでいいんだけどな。というか待ってる時間がもったいないんでは?

テーブル席につくと、「ケーキセットでいいですかぁ? ここはチョコレートケーキも美味しいんですけど、季節限定のケーキも美味しいんですよぉ」と鈴を転がすような声で解説する編集。うれしそうだ。甘いものは嫌いではないが、自分から進んでケーキを買いに行ったり、ましてや喫茶店で注文したりすることはめったにない。女子といっしょの時、促されるままに注文するというのが自分にとってのケーキであり、男子たるもの、どこそこのケーキがうまいのまずいの言うんじゃないみっともないという考えの九州男児である(嘘)。もちろん、美味しいケーキを食べれば美味しいと思う。ちょっとこれはすごいんじゃないか?と感動した経験は何度もある。が、しかし。これはもう自分の志向としか言い様がないが、男はケーキがうまいのまずいの言うべきじゃあない。それが許されるのは大乃国とマトバコージだけだ。

「ほら、明後日バレンタインじゃないですか。だから、ケーキで打ち合わせがいいかなって」と言いながらチョコレートケーキをフォークでカットする編集。季節限定の栗のタルトとやらをパクつく俺。ブレンドコーヒーと合わせて1500円也。さすが銀座だ。ふと見ると、同じブレンドコーヒーを注文したにも関わらず、コーヒーカップのデザインが自分と編集とではまるで違う。隣の席を見ると、客1人1人違うカップでサーブしている。まぁ、こういう店はさほど珍しくはないが、なんとなく自分のイメージはこんな感じなのかと店員に値踏みされている気にならないこともない。

編集のカップはロイヤルコペンハーゲンらしき柄の装飾的なカップ&ソーサー。俺のは真っ白で素っ気ないほどシンプルなカップとソーサーだ。そのことに気づいたらしい編集は「あ、なんかさくらいさんのカップ、真っ白でシンプルでいいですねー。さわやかって感じですもんねー。私のはカップもお皿も柄だし。こんなイメージなのかなぁ私ってって思っちゃいますよねー」と言う。何と答えればいいのだろうかこんな時。「か、かわいらしいじゃないですか、はは」と引きつった笑顔で答えるのが精一杯だ。一瞬、空気が凍り付くのがわかる。

栗のタルトは、死ぬほど美味しかった。
by sakurais3 | 2010-02-16 17:26 | 雑記

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