8日、あたらしい媒体の打ち合わせの後、六本木シネマートにて「ベルフラワー」マスコミ試写へ。
脚本・監督・主演はこれがデビュー作となる31歳のエヴァン・グローデル。映画監督を目指してロスに出てきた男が、映画学校にも行かず、コネもない中、バイト代を注ぎ込みながら初監督作品を完成させた。サンダンス映画祭でこの映画を観たビースティボーイズのアダム・ヤウク(先日惜しくも死去)が「これはヤバい!」と配給を買って出たという。
VIDEO 核戦争後の荒廃した世界を描いた「マッドマックス2」に登場する悪のヒーロー、ヒューマンガスになることを夢想するボンクラ青年が恋におち、束の間の蜜月ののちに裏切られ、哀しみと怒りを暴発させる…というようなストーリーなのだが、この「あらすじ」からはこぼれ落ちるものが多すぎる。
↓これが「マッドマックス2」のヒューマンガス
まず、本作のために開発したというオリジナルカメラによる映像が独特の世界観を生む。デジタルにも関わらず、写真でいうところのトイカメラやピンホールカメラで撮影したかのようなアナログ感漂う画質。そして、炎を噴き上げるメデューサ号を無許可で走らせゲリラ撮影したというシーンも迫力があるが、カーアクション映画かというとそうとも言えない。
町山智浩氏が取材・撮影したメデューサ号の雄姿。
VIDEO 何にいちばん近いかといえば、たとえばゴダールの「気狂いピエロ」をはじめとするヌーベルバーグ、あるいはその影響下にあるアメリカンニューシネマなどと同質の後味がある。または「Born To Die」と歌うラナ・デル・レイにも通じる「衰退するアメリカ」のひとつの暗喩と言えなくもない。終盤の、どこまでが現実でどこまでが妄想なのか判然としない描写の眩惑感も含め、エヴァン・グローデルは、間違いなく何がしかの才能がある。
試写後、ロビーでスタッフに「なんなのよこれ。汚いし馬鹿だし」と文句を言っている女性がいたが(マスコミ試写だからメディアの人間だと思われる)、まあ、良識ある女性(かどうかは知らないが)からは怪訝な面持ちで見られがちな類の映画ではあるだろう。確かに「汚いし馬鹿」。でも、男なんてそんなもんだよ。
しかし、↓日本版のチラシのデザインよりも、上記の海外版のほうが作品のイメージに忠実な気がするが。
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編集Y氏に「いつもブログのドラマネタ、参考にしてますよ」などと言われ、恐縮。「『家族のうた』はさすがに見てないんですか?」と聞かれたので、とりあえず初回は見て、これはちょっと駄目だなぁと思ったが、第4話はベンジーがゲストで出ると知り、オダギリジョーとどう絡むのか興味があって見た。しかし、絡むどころかベンジーはセリフもない通行人レベルで、その回が3.1%という最低視聴率を更新したと翌日知り、うひゃぁーと思った、というような話をする。
視聴率3.1%がネットニュースになるほどの「事件」になると、不思議なことが起きる。なぜかネットの視聴者の感想サイトなどでは軒並み高評価なのだ。この高評価が本当ならば、視聴率に跳ね返らないのはなぜだろう。無料動画サイトで見てるひとが多いからなのか? ネットでは、人気のあるもの、売れているものは叩かれ(AKB関連)、人気のないもの、売れないものは持ち上げられるという奇妙な転倒現象が生じているのか。出る杭は打ち、折れた杭は立て直されるのか。それはそれで「これが分かるのは自分だけ」という屈折した優越感の表れのような気がしないでもないが、たしかに「家族のうた」がそれほどひどいドラマだとは自分も思わない。少なくとも裏の「HAZURE」おっと間違えた「ATARU」よりは「ふつうに見れる」程度の話だろう。
が、決して褒められるようなドラマでないことははっきりと言うべきだ。まず、オダギリジョー演じる主人公・正義の言う「ロックか/ロックじゃないか」という価値基準が古すぎるし、周囲の人間がこの男を無意味に甘やかし過ぎている。正義というキャラが魅力的でもかっこよくもないため、この男を甘やかす様が理解できないのだ。これは「オダギリジョー=かっこいい」という前提にのっとっているのだろうが、今の世間一般の認識からすればどうだろうか。徐々に周囲や世の中との折り合いをつけながら成長していく主人公なのだろうが、各話ごとにその変化や成長の片鱗を提示しなければ視聴者は付いてこない。この主人公を暖かい目で見る視聴者はオダギリジョーファンだけだろう。と書いていて思い出したが、是枝裕和の「奇跡」でまえだまえだの父ちゃん役を演じたオダギリジョーも売れないミュージシャンだった。が、あのキャラクターはどこか憎めない愛嬌のようなものを醸し出していたから、これはオダギリジョーのせいではないのだろう。
いっそユースケサンタマリアがいてトータス松本がいてベンジーがゲストで出るドラマならば、90年代の日本の音楽シーンを回顧し、総括するような話にしたほうがまだニーズがある。なぜ正義がストーンズを崇拝するキャラである必要があるのか理解に苦しむし、「銀杏の入ってないがんもなんてキースのいないストーンズみたいなもんだよ」みたいなセリフが誰に向けられているのかよく分からない。ドラマチックサンデー枠の視聴者層に対して「このくらいならギリ通じるんじゃね?」と考えているのだとしたら、ロックファンにとってもロックに詳しくないひとにとってもひとっつも面白くない設定としか言いようがない。これならば、田舎のライブハウスでは人気者だったロッカーが「イカ天」とおぼしき番組に出演するも、本番前にビビッて逃げ出し、以後それがトラウマになり、音楽をやめ、田舎の工場で働きながらくすぶっている男(玉山鉄二)が登場する「カエルの王女さま」のほうがまだリアリティがある。
せめて23時以降の時間帯でマニアック(といっても限度はあるが)なロックのディティールを持ち込んだ話にしたほうが、オダギリジョーにとってもスタッフにとっても視聴者にとっても幸せだったろう。
ここから巻き返すことができるのか、あるいは不可能なのか。それこそロックか/ロックじゃないかの別れ道だ。Let It Rock!!!!